「”ボールを見る”ことに意識を入れろ」 (野村克也メモリアル ~その3~ ホームラン王)  ~名言地産地消(32)~

「”ボールを見る”ことに意識を入れろ」
(野村克也メモリアル ~その3~ ホームラン王) 
~名言地産地消(32)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

野村克也ベースボールギャラリー 特別展 ~開催中~

期間:2021年3月27日(土)~5月9日(日)

場所:アミティ丹後  (京都府京丹後市網野町)
丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

野村克也ベースボールギャラリー 特別展 ~開催中~

期間:2021年3月27日(土)~5月9日(日)

場所:アミティ丹後  (京都府京丹後市網野町)

野村克也ベースボールギャラリー

南海魂/あゝ栄光の南海ホークス(ロックver.)
※南海魂の歌手は、京丹後出身の東 蓮(azuma ren)さんです。

野村克也氏は語る、

「町で目の見えない人を見かけ、「さぞ不自由なんだろうな」と思いました。そのとき、ハッと気づいたのです。目の見えるわれわれは、この社会で行動するのに、なんら不自由を感じません。しかし目が見えるから、社会生活において不便を感じないからといって、野球をしたとき必ずしも来た球を打てるわけではありません。目が見えて、何も不便を感じないから、”見ること”を意識しなくなる。そこに意識があるかどうかが、問題なのだと気づいたのです。」

「野村克也からの手紙」 野村克也著/ベースボールマガジン社より引用。 ※実際の手紙でなく、手紙形式の随想録です。

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プロ入り初ホームラン  ※ 野村克也ベースボールギャラリー 特別展にて展示 

公式戦に出場の機会が増えた野村克也氏であったが、直球は打てるが変化球はまったくダメであった。「カーブの打てない野村!!」とヤジが飛ぶほどであった。

そこで気がついたのは、「自分はボールを漠然と見ている」という事実であった。ボ-ル見ることに意識を入れ、ピッチャーがボールを放した瞬間から球筋をよく見れば、苦手のカーブも打てるはずであるであると、気づいたのである。依頼、調子が悪くなればなるほど、ボールをにらみつけるようになり、カーブを克服したのである。

後に、「見る」という意識はさらに強まり、選手を観察するようになった。巨人と試合前、名打者であった川上哲治氏が素振りをしてると、ブルペンから強い視線を感じてハットしたという。その視線は野村克也氏であった。膝を柔らかく使って打つためのウォーミングアップを学んでいたのである。

 選手を観察姿勢で見ることで野村克也は力をつけていき、捕手のレギュラーを取りホームラン王の道が開けていった。

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当時の年間最多ホームラン記録 ※野村克也ベースボールギャラリー 特別展にて展示 

四番バッターを任されるようになった野村克也氏であったが、鶴岡監督は「お前は安物のピッチャーはよう打つが、一流は打てんのう!」、「銭にならんやっちゃのう!」と、相変わらず手厳しい。

当時九州に西鉄ライオンズという強豪いて、稲尾和久という別格のエースがいた。力まないゆったりとしたフォームから投げるストレートは手元で伸び、球威が最後まで衰えない。そして、速球、変化球とも針の穴の通すコントロールを持っていた。さらにバッターのことをよく見ていて、こっそりホームベースに近づいて立つと、インコースにずばっと投げ込んで来る超一流のピッチャーであった。

稲尾攻略のためには、バッターボックスでの観察だけでは足りなかった。友人に16mmのカメラで投球を取ってもらい、なにか癖がないか必死にさがす。稲尾投手もギリギリまでバッターの動きを見ながら、瞬時にボールを投げ分ける。互いに相手の観察に執念を傾けるのである。

野村克也氏は回想で、「サイ(稲尾投手)との対戦は、打っても打たなくも楽しかった。」と語る。頭脳バッティング対頭脳ピッチングの対戦が出来る唯一のピッチャだったのである。「一流が一流を育てるという言葉がよくわかる、ここまでこれたのは”ピッチャー稲尾”のおかげだ!」と、稲尾和久氏に感謝の言葉を述べる。

一流選手と育っていった野村克也は三冠王を獲ることとなる。

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三冠王ペナント ※野村克也ベースボールギャラリー 特別展にて展示  

”見ること”の意識が大切だと気づいた人は実業界にもいました。クルマやバイクで有名なHONDAの創業者の本田宗一郎氏である。本田氏は工場見学でなく工場「観学」してこいと社員に言った。

「本当の見方というものは、観察することによってのみ、正しい知恵が出てくるんです。「観学」するには、何がいちばん大切か……。それは、先にも言ったことですが、苦労することなんです。

 ある農村へいって、「牛の耳はどこにあるのか?」と青年に聞いてみた。ところが答えられない。君達の中で牛の耳のあり場所を正確に言える人がいるか?
実は、角(つの)の後にある。角でちゃんと耳を保護してくれている。その青年は、「そう言えば、そうだった」なんて言っている。毎日、牛を見て暮らしている人間がそうなんだからね。

 それで、東京へ出てきて、友人のある画家に、同じ質問をしてみたら、「ああ、それは角の後だよ」と、見事に答えた。年に一回も牛を見ない東京の画家にすぐわかって、毎日牛を飼っているお百姓さんが、分からない。お百姓さんには牛の耳がどこにあろうが、要はよく働いてくれて、高く売れればいいんです。だから、耳なんか、ない方がいいくらいに思っている。

 ところが、画家の方は、常にものを見る眼ができている。ただ、表面を見るだけでなく、観察をしている。動物の生態を苦労して、観察している。
そういう意味において、君達は、本当に自分が正しい、いわゆる「観察の目」を開こうとしたいなら、そのものズバリに、苦労することだ。これが、自分をいちばん育てる基盤である。」

「TOP TALKS 41.4 社報」 本田宗一郎/HONDA CAFE  より引用。

HONDAの「見る」「観る」は名言として広まっていきました。HONDAに負けられないTOYOTAは「見る」「観る」に「診る」を入れ、現場を診断するように見ることを説く。そして、「工場の見える化」という現場改善を進めて行きます。この物づくりは、製造業全体に広まっていき、さらに世界に発信されていきます。最終的には、

「見る」「視る」「観る」「診る」「看る」

と、5つの「みる」という現場管理者の心得になっていきます。

でもこれは、医療の世界ではある意味常識なんです。家で具合の悪そうな「見」える人を様子を「観」て、さらには病院で「診」察してもらい、治るまで「看」病する。病気は大事なので「見る」意識が誰も高いのですが、そうでもない世界で見ることの意識づけをするのは、本田宗一郎氏が言うように「苦労」が必要なのです。

野村克也氏は野球の世界で5つの「みる」探求していきます。病院で「診」察を受けるときは、検査や症例も必要とします。野村克也氏も”ID野球”と呼ばれたように、DATAも併せて野球を「診」るようになります。「看」病は患者によりそってめんどうを見ます。野村克也氏も”野村再生工場”と呼ばれたように、捕手として投手のめんどうを見て、選手のカムバックを図ってきました。

野村克也氏は「野村克也-野球=0」と自ら言うほど野球好きの人でした。本田宗一郎氏もガソリンを手に付けてに匂いを嗅ぐことが好きというほどエンジン・クルマ好きの人でした。お二人とも好きな仕事に没頭していて、その大好きな仕事現場こそ自分が学べる場であり、そこには先生はいなくて、よく見ることこそ学ぶ方法だと気づかれたのかもしれません。(友木)

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