~明智の埋蔵金~ (光秀の丹波生存説 ~その1~ 丹波 京北周山 ) ~名言地産地消(27)~

「~明智の埋蔵金~」
(光秀の丹波生存説 ~その1~ 丹波 京北周山) 
~名言地産地消(27)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回、将軍義昭とこまのラストシーン。

こま 「そう、ご存じでござりましょうか。十兵衛さまが生きておいでになるうわさがあることを。」

義昭 「なに!!」

こま 「私も聞いて驚いたのですが、実はひそかに丹波の山奥にひそみ、いつか立ち上がる日に備えているとのことです。」

義昭 「ほんとかぁ!!!」

驚きました。注目のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の結末は”光秀は生きていた”という説です。歴史上の大きな謎が、謎をさらによんでしまい、ネットなどで諸説が沸騰し大盛り上がりです。この連載でも、「勇猛なる影武者」の章で生存説を予想したのですが、的中してしまいました。

こまが話した、”丹波の山奥にひそみ”のうわさには”明智の埋蔵金”伝説が絡んでいます。本能寺の変の直後、明智勢は安土城へ行き、大量の金銀を持ち出し、将来の軍資金として、領地である丹波の山中に埋めたいう伝説です。そして”明智の埋蔵金”なるものは実際にあり、誰でも見て触れるのです。→明智の埋蔵金..周山街道でひろった小判 https://kameyahirokiyo.com/keihokustory_1577

画像の説明
 京北の山々  京丹波PAより

周山の昔話以外にも、家老の進土作兵衛が周山まで運び埋めたとの文が、明智家子孫の家で発見されています。

作兵衛は周山の光秀ゆかりの寺である慈眼寺に運び、近辺の山中の2か所に埋めたとのこと。その埋めたところは以下の場所とのこと。

「身をも名も 惜しまねばこそ 松のみとり いろ濃き 弥生空 くちなは頭の影をふむ 岩戸しとね しとねのその下に こがね三百 しろがね千貫」

そして後に、しかるべき方から進土作兵衛に指示があり、一か所の金銀は掘り返したとのこと。ただもう一か所は今も埋めたままとのこと。

ここで注目すべきは、後に進土作兵衛が掘り起こしを指示されている点です。領地をすべて失った明智家にとって重要な金銀です。掘り返す指示が出来るのは明智家当主光秀しか考えられません。そして、誰に指示されたかはっきり書かれてないのは、書けない事情があるとしか考えられません。

また、周山の昔話でも、運んできた金銀の一部を領民に分け与えたとのこと、こんな判断は家来ではできません。光秀が判断したとしか考えられません。

また、周山の昔話では”弟の明智光春”なるものが運んで来たことになっています。光秀には妹が二人いたのですが、弟はいません。明智光春なる人物は叔父の明智光安の子供、左馬之助のことで、後の明智秀満されています。しかし、歴史家の話では、明智光安、明智光春は実在したかも分からない謎の人物とされてます。さらに、明智光春(秀満)は本能寺の変後、坂本城で自害したとなっています。

実は光春が生きていて周山に行ったのでしょうか。光春すなわち秀満は福知山城主でした。それなら、光春と古い名を名乗る必要性はありません。弟と名乗る必要性もありません。よくある話では、本人でないとの嘘をつくとき、”弟”だと名乗ります。光秀が秀満の古い名である光春をつかって、”弟の光春”と名乗った可能性があります。でも光秀を慕っていた領民は分かっていて、「光秀様は生きている」とのうわさになったのかもしれません。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回ではもう一つ印象に残るシーンがありました。思いもよらず、娘たまが登場したのです。

忠興さまについていく命と父上についていく命の二つの命があればよいのに思います、と言うたまに対して、

光秀  「命は一つでよい、そなたは忠興どのと長く生きよ。そのため、わしは戦おうてみせる。」 

      何かしらの決意があることを悟り、たまの表情が変わり、光秀を見つめ、

たま  「父上、長う生きて下さりませ。」

      光秀はうなずく。

このシーンは、美しい音楽も流れ、二人の演技も見事で、実に印象的に描かれていました。その後の二人の運命の過酷さも暗示していて、それでも生き抜こうという意志も感じられました。まるで、記録に残った歴史に対して、光秀とたまが戦いを挑んでいるのでいるような印象さえありました。

光秀は本当のところ、どうだったんでしょうか。やはり歴史の定説通りだったのでしょうか。たまが願ったように、長う生きてくれてたらいいのですけどね。(友木)

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