「気丈な貴婦人」(細川ガラシャ ~その5~ オペラ 丹後国王妃グラティア ~名言地産地消(21)

「~気丈な貴婦人~」
(細川ガラシャ ~その5~オペラ 丹後国王妃グラティア)
~名言地産地消(21)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

ガラシャの死後、キリスト教は禁教となる。帰国した宣教師は日本でのガラシャについて語っていった。

1698年、ウイーンにイエズス会の施設で、バロックオペラ「気丈な貴婦人グラティア」(ガラシャ)」が上演されヨーロッパで大きな話題となる。

正式な題名は「丹後王国の妃であった ”気丈な貴婦人” グラティア、キリストのために苦しみ、よってその名をためた」というもので、「主人公グラティア(ガラシャ)は丹後国王の妃であったが、暴君である夫がキリスト教を迫害することに堪え、キリスト教の信仰を守り通した。その後、主人公のガラシャは亡くなってしまうが、その死によって夫が自らの非を認め、悔い改めた」という物語である。

※「宣教師ルイスフロイスが記した、明智光秀と細川ガラシャ」 守部喜雅著 /いのちのことば社

17世紀のヨーロッパで、丹後国王妃グラティア(ガラシャ)はもっとも名が知られた日本人女性となる。
その影響で丹後王国も有名になったのか、17世紀初に描かれたとされる世界図屏風では、なぜか丹後半島が大きく描かれています。

画像の説明
世界図屏風(重要文化財) 神戸市立博物館所蔵

このオペラはオーストリアを治めるハクスブルグ家の女性たちの見習うべき手本となっていきました。
フランス王朝最後の王妃となったマリー・アントワネットも、このオペラを子供時代に観て、「ガラシャの凛とした生き様に大変感動した」といった内容が書かれた手紙が残っています。

「薔薇を持つマリー・アントワネット(1783)」エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 

ひと昔前に一世を風靡した、宝塚歌劇の”ベルサイユのばら”でも、マリー・アントワネットは”気丈な貴婦人”として描かれてました。

マリー・アントワネットが残した名言の中にも、オペラ グラティア(ガラシャ)の影響ではないかと思える点もあります。

「パリについたとき、もっとも感動したことは、高い税金のに苦しめながらも、私たちを見て歓声を上げてくれた貧しい人の優しさと熱気でした。」

「不幸な暮らしでも私たちに尽くしてくれる人がいるなら、その人のため現在よりもさらに身をささげることは当然です。」

しかし、フランス王政は末期にあり問題だらけで、夫ルイ15世とのうまくいかず、現実は悪化をするばかりです。でも”気丈な貴婦人”の気概は忘れなかったようです。

「苦難に直面したとき、まず考えることは自分は何者なのかということです。」

「勇気、私な何年も見せてきました。苦しみが終わればそれを忘れるに違いない。」

「すべてを見て、すべてを聞いて、すべてを忘れることとした。」

やがて、フランス革命が起こり、マリー・アントワネットは断頭台を登ることとなった。その時、死刑執行官の足を踏んでしまった。

「ごめんなさい。わざとではありません」

これが、生涯最後の言葉となった。最後の最後まで、ガラシャと同じように”気丈な貴婦人”だったのです。

丹後ゆかりの細川ガラシャ。その足跡に触れて”気丈な貴婦人”の姿を偲んでみてください。

マリー・アントワネットをはじめ、いろんな”気丈な貴婦人”も現れてくるかもしれません。(友木)

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