漁師まちならでは!?競り直後にトロ箱に魚をつんで行商するおばあちゃん~丹後人⑬~

丹後人
たんごびとの魅力・想い⑬
~うちの近所の たまさん~

丹後で育ち、住み、丹後弁しか話せれない私(さゆりすと)。
丹後の海・山・食・人・土地・歴史など
全てが大好き!
その中でも一番人が魅力的!
なので
丹後のヒトの魅力・想いを発信していきたいと思います★

たんごびと第13弾は
うちの近所の

たまさんです。

たまさん

1)さゆりすとの取材コーナー
たまさんは、現在90歳。昭和3年生まれ。
独り暮らし。シルバーカーを押して歩いています。デイサービスにはいきません。
嫌なんだとか(^^;
毎日日課のように午前中は、たまさんの足なら5分くらいの場所の我が家に来て母とおしゃべりします。
たまさんは、6人姉弟。現在生きているのは自分を含め3人。
皆遠方なので「もう会えないな~」といってました。
私の住む所は、漁師町。たまさんは、60歳過ぎてから魚売りの行商をしてました。漁連での競りのあとすぐ、魚介類をのせたトロ箱を荷車にのせの村の中を売って歩いてたんです。
競りの後すぐの魚なので、鮮度は抜群
今晩のおかずにすぐになります。
我が家も良くたまさんから買いました!
たまさんが子供の頃は、魚売りのおばちゃんたちは、担いかごに魚を担いで売っていたそうです。その後、車にのせて売りに歩くようになったそうですが、この車も昭和40年代後半頃からで、その当時3万円程したとのことでとても高額な車だったようです。
はかりも昔の竿秤を車にのせ
魚のグラムをはかってましたね。
雨の日も雪の日も。。。
↓行商用手押し車
(たまさんもこんな感じでした)
手押し
↓担いかご(天秤棒)
イラスト
うちの村の漁連からの坂がとてもキツく
「この坂が登れんようになったら、行商はできん」
と言われていたようですが、たまさんも身を持って実感。
この坂が登れなくなった時にこの仕事を辞めたそうです。それが80歳頃だったようです。
↓竿秤
竿

2)さゆりすとからのひと言

今は、一人も村の中を魚を売って車で商いするおばちゃんはいなくなりました(T^T)
たまさんも昔は、商いの車を押していましたが、今は、シルバーカーを押して村を歩いています(^^;。商いをしていたからばかりではないと思いますがたまさんの人柄で、独居ですがお昼からは多くの人が喋りにきてくれるとか。。。
遠方にいる娘さんもちょくちょく帰ってきているようですが、その度にご近所さんへの挨拶や感謝を忘れません。
田舎で90歳の高齢者がデイサービスなどを利用せず元気に暮らしていけるためには、ご近所の支え合いは必要であると思います。
遠方の娘さんの村でのご近所とのコミュニケーションもバッチリだと思います。
多くの人の見守りも重要ですが、中でも数名頼れる存在があると良いのかもしれませんね。
たまさんをはじめ、
今の日本の礎を築いた世代の方々が、
まだまだ元気に
喋って、
笑って、
歩くことができる、
そしてまた人との繋がり、
会話し、
支え合いがある
村であって欲しいと願います。
たまさん、明日も、午前中はうちに喋りに来てくださいね~(^^)
母も待ってますよぉ~(^^)

最後まで読んでいただきありがとうございました★

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